先日、俳優の三浦春馬さんがお亡くなりになりました。
その速報を見てから現在まで、私自身とても不安定です。
ふと気がつくと、彼のことを考えてしまい、1日分の感情のうち3分の1位の時間は彼の死に持っていかれ、子どもたちがいる前で笑顔カーチャンでいたいのだけれど、ふとしたときにしょんぼりしてしまって生活に何気に影響していると思います。
こんな私ですら、影響しているのだから、芸能界や日本中の多くの人が、きっと彼の最後の気持ちを考えて、悲しさ、無力さ、怒り、悔しさ、喪失感、寂しさに苛まれているんではないでしょうか。
ちなみに私長男君の名前の候補に「はるま」があったんです。もちろんイメージは三浦春馬さん。息子が彼のような青年になってくれたら・・というくらい彼のイメージって素敵でした、ってゆーかぶっちゃけ自分が高校生の頃からめちゃほんとにタイプでした
まさか自ら命を経つなんて彼のイメージからは想像できない。
むしろコンスタントにメディアに出ていて抜群の人気で安定感のある印象でした。
でも今思えば、彼はみんなに愛されるために自分をすり減らしていたんですね。
自分の為にあの日、1日だけでも休んでいたら・・・
何か変わったのではないかと思ってしまわずにはいられないです。
芸能界でトップになればなるほど、プロ意識に縛られてしまうのでしょうか。
みんなの期待に応えようとしてしまうのでしょうか。
それに応えられなかったら、みんな無責任だ、プロ失格だと罵るのでしょうか?
そうかもしれません。。
芸能界でなくとも、社会でよく見られる光景ですよね・・。
みんなその人の苦しみは目に見えないから、自分に置き換えてなんとでもいっちゃいますよね。
職場の人間関係だけでも疲れるのに、芸能人の方は、それに加えて自分の知らない人たちにまで、勝手に自分のことを言われるんですよね。
そんなとても大変な緊張感の中で、睡眠時間もなく、台詞を覚えたり、同時並行でいろいろなお仕事をされていて、
これだけみんなに愛される彼は、みんなに気遣い、優しい態度でいて、ある意味八方美人だったのかもしれません(悪い意味でなく)。
八方美人で頑張っていて、その間どれだけ自分を押し殺していたのでしょうか。
想像を絶します。
日本人の美徳とする「優しさ」と「責任感」。
自己犠牲の上ではいけないですね。
自分を愛して、労って、大切にした上で、コップから溢れ出るくらい生きることに前向きのエネルギーが出たところでそれを使ったり、周りにもそれを与えることは素晴らしいと思います。
でも自分の生きるエネルギーがもう空っぽになるまで、もしくはもう無いのに「優しさ」「責任感」を他人に全うしようと頑張ってしまったら・・・・・
彼の死を無駄にしないで、私たちは何かを学ばなければなりません。
まずは自分への身と心に「優しさ」と、命の「責任」を。
もし死後の世界があるのなら、生まれ変わりがあるのなら、今度こそ彼が自分自身の幸せを感じることができますように。。