こんにちは!

7歳5歳3歳1歳0歳の5児の母、エデュママです。

子育てについてブログを始めてみることにしました。

今回は私がどんな人間かと言う自己紹介と

どうしてブログを始めようと思ったきっかけについてお話しようと思います。

ちょっと長いですが・・・

独身時代

正直一番上の子が生まれるまで、子供に関して全く興味がありませんでした。

つい6年前までは、自分の生い立ちを清算するために、女性学やジェンダー、社会学、文学を大学で学んでいました。

様々な理由で自信がない女性を人生変える仕事に就きたいと思っていました。

天職に巡り会えて、仕事はめちゃめちゃ楽しかったです。

仕事はほぼ毎日午前様、そして実家が自営業で、仕事後夜勤を手伝うこともしばしば。

睡眠時間は少なかったですが、まるで全国大会を目指してる部活動のように日々充実感と達成感で満たされていました。

自分で言うのもアレですが、バリバリのキャリアウーマン志向でした。

このまま順調にキャリアを積んでいくと思っていた矢先に、悲劇は起こりました。

病気発覚&妊娠

1日24時間のうち3/4の時間を仕事に当ててる生活に体は限界だったようで、ある日もう治らない進行性の病気を患ってしまいました。

そしてその直後に第一子を妊娠。重度のつわりを経験しました。

その為その年で入退院を年度も繰り返し、仕事を休まざる得なかったため、

私の業績はかなり良かったものの、最短昇進のチャンスは無くなりました。

それでもまだ進行ステージも初期のため、病人の自覚が無いまま

育児休業を復帰したら、

育児と仕事を両立するぞ!どちらも言い訳にしないぞ!!

と意気込んでいました。

でもこの後仕事を頑張れば頑張ろうとするほど、流れは悪くなりました。

まるで何かの力が働いているかのように

「もう働いてはいけない」「身体を心を大切にしなさい」

と言われているように。

復帰の矢先にトラブル・・・

そして育休中に第二子次女ちゃんの妊娠が発覚しました。

もちろん重度のつわりの再来。

つわりが終わらないまま、そして長女ちゃんの保育園の預け先も決まらないまま

結局育休期間の期限が終わり、復帰を迎えました。

とりあえず長女ちゃんは高額のインターナショナルプレスクールに預け、

お金は赤字のマイナスでした。

そして復帰して1ヶ月経ったある明け方

お腹に激痛が走り目を覚ましました。

しかも10分間隔での痛み

そうです。妊娠8ヶ月に入ったばかりで陣痛がきてしまったのです。

そのまま切迫早産の診断で絶対安静の緊急入院となり、

そのまま出産までまた休業することになりました。

2ヶ月近い辛くて長い入院生活を経て、奇跡的に出産予定日に無事次女を出産。

その後第二子次女ちゃんの育休明けのタイミングで転勤&異動。

一から職場とお客様との信頼構築と業績を短時間でこなす為に死に物狂い、

毎週子供達のどちらかが必ず風邪をひき、病児保育と病院のはしご、

そして自分が体調が悪くてもこれ以上は休めない、と40度の熱でも働く。

移動した先は、時短先輩ママが多かったのですが、

日々の営業成績が達成しないとみんな帰らないんです。

達成するまで残業です。

先輩ママたちの子は大きかったり、祖父母の協力があったのですが、

我が家は完全核家族。

なんとか仕事で結果を出さなければ帰れないと、精神的に追い詰められてきて、

この頃から仕事がだんだん辛く感じてきました。

帰ってからも子供達の食事やお風呂、寝かしつけ、片付け、洗濯

自分の仕事の資格勉強・・・

もう生活を送るのに必死で感情思考ともに停止状態。

子供達に全く向き合うこともできていませんでした。

悲劇再来

毎週のように姉妹どちらか風邪をひくこと、

病児保育に預ける日々に

罪悪感を感じる余裕もなく、

思考停止状態の私は

子どもの様子を全く見れなくなっていました。

ある日

発熱のため、長女を預けていた病児保育から連絡が入りました。

「お子さんの具合が良くないので大きい病院にいますぐいってください。」

そして長女はICUに運ばれてしまいました。

検査中に待合で泣きながら、

思考停止状態だった私が自問しました。

「私はなぜここまでして働くのか」

「他人(会社・社会)の評価があなたの幸せの基準なのか?」

「自分の子供と身体を犠牲にしてまで大切なものが今の仕事にあるのか」

「本当に今の仕事が楽しいと言えるのか?好きと言えるのか?」

答えはNOでした。

そして長女の入院に付き添い入院を半月ほど夫婦で交代でやりくりしながら、

なんとか無事長女は寛解。

しかしそのまま翌週今度は私の持病の進行を遅らせるための緊急手術が入りました。

もうこの頃どのように生活していたのかの記憶が夫婦ともにありません。

ただ

「もう仕事は辞めたい」

「でもまだ復帰して3ヶ月だし、まともに働いてない。。」

「常識的にもう少し頑張らなくては・・・」

と思っていた矢先、

退院後体調がなかなか優れず、体重は気がついたら復帰してから10キロ痩せていました。

そして第三子長男の妊娠が発覚し、そしてすぐに激しい悪阻と腹痛と出血。

切迫流産と巨大絨毛膜下血腫で絶対安静の指示が出ました。

これまで頑張っていたことや金銭的にも恵まれていたことを知っていた為

「退職はもったいない」と言っていた主人が

初めて

「もう辞めてもいいよ」

と言ってくれました。

その一言は私の背中を押してくれました。

退職そして・・

本当に好きだった仕事が辛くなってきて、

キャリアウーマンを目指していた私が

仕事を辞める理由はもう十分自分の中に揃っていました。

辞めた時、寂しさや未練よりも、

ホッとした、と言うことが一番大きかったです。

なぜ、私が仕事に執着していたかは

今思えば、

自己肯定感の低さが原因だと思います。

機能不全家族で育ったことや

いつか主人に捨てられるんじゃ無いかと言う恐怖

誰にも頼れない、

周りに認めてもらえなくては

と言う恐怖心があったのだと思います。

かつてはやりたかった仕事で女性を応援するぞという思いが

会社にしがみつく社畜マインドに

いつからか変わっていて、

それは私を幸せにするものではなくなっていたのです。

本当にやりたいこと・・・

仕事を辞めて、

私がしたかった生活を考えた時、

「大切な子ども達が幸せになってほしい。そのために自分ができることを勉強したい」

と言うことが思い浮かびました。

子供を育てるにあたって、

「こうだ」という正解がなくて、

奥が深くて、とても難しく

自分自身と向き合う作業とつながっていたり、

教育学、心理学、社会学、医学、栄養学、色々な勉強が必要で、

でも、とても楽しくて夢中なんです。

お給料ももらえない、評価もつかない、

それでも

わからないことは自分なりに勉強して、子供に向き合いたいなと考えています。

ブログは子育てについて学んでことや

自分なりに考えたことなど備忘録として残しておこう、

そして、この学んだ情報が

私のように子育てに向き合っているどなたかのかの目に届いて、

一つの意見として参考にしていただいたり、

反面教師にしたりしてもらって

これも一つのかつて自分がやりたかった子育て中の母親という「女性の応援」に繋がるかもしれないという思いからブログを始めようと思いました。

完全なる自己満ですが、

こんなエデュママブログを少しずつ更新していきたいと思います。

よろしくお願いします。

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